自民党富山政治学校で臨時講師
1月27日、自民党富山政治学校第6回講座で、「政治家の心構え」と題してお話ししました。予定の講師が急遽、都合が悪くなりピンチヒッターを務めました。その内容は、以下の通りです。
自民党富山政治学校第6回講座 「政治家の心構え」
■自己紹介
■座右の銘 「慎重自ら持し 敢為事に当たる」 (県立富山高校の校訓)
■政治家について ・・・・・・・・
マックウエーバー (独 1864-1920 「職業としての政治」)
- 政治家の資質について ヴェーバーは政治家にとって重要な資質は情熱、責任感、判断力の3つだと言います。情熱とは、自らが追求せんとする事柄(ザッヘ)や正しいと信じる信仰への情熱的献身のことです。これはただの情熱、特にロマンティズムに基づく情熱ではありません。そのような情熱は責任を欠いている。情熱は「それが『仕事』への奉仕として、責任性と結びつき、この仕事に対する責任性が行為の決定的な規準となった時に、はじめて政治家をつくり出す」(p.78)のです。 そして、そのために必要なのが判断力だとヴェーバーは言います。「すなわち精神を集中して冷静さを失わず、現実をあるがままに受けとめる能力、つまり事物と人間に対して距離を置いて見ることが必要である」(p.78)。判断力とは、自らの情熱をしばし脇に除けておき、まずは物事の原因や現況を客観的に観察できる能力のことあり、判断とはその先に下されるものなのです。とはいえ、情熱のまったくない政治家もまた政治家たる資質に欠けています。そのため「燃える情熱と冷静な判断力の二つを、どうしたら一つの魂の中でしっかりと結びつけることができるか、これこそが問題」なのです(p.78)。 この問題にとっての最大の敵が「虚栄心」です。しかし、この虚栄心を政治家の心の内から取り除くのは容易ではありません。なぜなら、政治家はその職業の本質から言って権力を追求せねばならず、この権力は政治家の虚栄心をくすぐる最悪の麻薬だからです。権力の追求がある仕事(ザッヘ)のためでなく、単なる自己陶酔の目的となったとき、政治家は堕落するのです
ウインストン・チャーチル(英の名宰相 (1874-1965))
「そもそも、政治家になりたい人は、自分を含めてロクな人間がいない。目立ちたがり屋やひと儲けをたくらむ人など、まともでない人達の集団だ。従って、ロクでもいない人達の中から、相対的にまともな人を選ぶ『忍耐』を、選挙と呼んでいるのである。つまり、民主主義は最悪の政治形態だ。ただし、王政や皇帝政など、過去に試されたすべての政治形態を別にすれば。」
中曽根康弘(1918-) 「私の中に国家がある」
■議会基本条例の位置づけ
■私の政治テーマ
- 中山間地域の振興
- 様々な困難に直面している人々の希望と自立の実現
■私の日常の活動
《課題に挑む》 《政策を磨く》 《現場を走る》
《知事に迫る》 《国政に申す》
■理想 (現実は・・・・・・・・)
《時代認識を持つこと》
[富山県]
・日本の中での位置づけ
・置県からの歴史の中での位置づけ
[日本]
・明治維新150年
・坂の上の雲 ⇒ 平成のトンネルの先の雲
・超高齢化社会 人口減少社会
・世界の中の日本
[世界] — 政治学者の佐々木 毅氏によれば
・英国のEU離脱とアメリカのトランプ大統領の誕生は、経済のグローバル化と
一国民主政との矛盾が噴出したことが底流にある。
・1970年代のサッチャー、レーガン時代は、市場主義のイデオロギーにより、
新しい世界秩序を「創る」ことを試みた。今、英国のEU離脱もトランプ政権
も、既存の秩序や協定からの「退出」を試みる。EUを含め先進各国は、「創る」力の喪失に見舞われている。民主政は分極化し、解決当事者としての余力を失いつつある。
《自分に再投資すること》
本、人、旅 ・ ・ ・ ・ ・ ・
《家族、特に妻に感謝すること》
■私の好きな言葉 (心がけたいと思うこと)
- 憂鬱でなければ仕事じゃない (幻冬舎社長 見城 徹)
— 自分を奮い立たせる時
- GNOを大事にせよ (幻冬舎社長 見城 徹)
— 政治家の前に一人の人間として
- 坂村真民の詩 (1909年1月6日-2006年12月11日)
川はいつも流れていなくてはならぬ
頭はいつも冷えていなければならぬ 目はいつも澄んでいなくてはならぬ 心はいつも燃えていなくてはならぬ |
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あとから来る者のために 田畑を耕し 種を用意しておくのだ
山を川を海を きれいにしておくのだ ああ あとから来る者のために 苦労をし 我慢をし みなそれぞれの力を傾けるのだ あとから あとから続いてくるあの可愛い者たちのために みな それぞれ自分にできる何かをしてゆくのだ |
- 日が照る間に屋根の修理をしよう (J.Fケネディ大統領)